3日ぶりに保護の2歳男児に、ホッとしました。

小さい子は、生まれたその日から、全感覚を使って、

世界の仕組みを確認しているのですね。

 

アリストテレスが提唱した「五感」。

古代ギリシャ哲学では「自然を把握する能力」を意味していました。

感覚を総動員して、「注意」するのです。

「意を注ぐ」とは目はもちろん、耳も鼻も姿勢も、感覚を総動員して対象に注ぐこと。

 

子どもは教えなくたって、最初からできてる!

むしろ、大人になるとだんだんできなくなっていく?

この幼い子も沢で、始めて自分で探した水を飲みながら、葉影に座っていた!?

人間はまだこんなにもステキな存在!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偶然にも、2日前【チームラボプラネッツ】でエキサイティングな体験

テーマは

≪視覚的錯覚によって、身体ごと作品に没入させることができる。

身体ごと作品に没入し、自分のカラダと作品との境界を曖昧にしていく≫

 

目で「見る」試みから始まり、やがて「心」、

すなわちイマジネーションによって「見る」ことに進んでいくということ?

 

一緒に行った6歳男児は、目はもちろん、

耳も姿勢も、感覚を総動員して対象に没入してました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水面に反射する光と影の戯れを楽しむとき、

私は、思わずびしょ濡れになられるのを恐れ、

転ばないように必死に手を引いてました。。。

 

今も、子供の世界は、大人たちが成長するにつれて失っていく

「見えないもの」の存在によって彩られているのでしょう。

「何かを本当に知っている」のは子供かもしれません!」

 

ずっと、嗅覚という感覚の仕事に携わっています。

私達のように狭鼻猿類は、視覚が発達したことによって、

嗅覚の退化につながったと考えられてきました。

特に知識の記憶や言語の獲得で他者への伝達が可能になったことが

感覚の退化を進ませたと考えられています。

しかし、感覚の遺伝子は、まだ遠い昔のままで存在しているのかもしれませんね。

ワークショップでの小さい子との出会いを大切にします。